○文化住宅の多い街

 文化住宅(ぶんかじゅうたく)は第二次大戦後の復興期に住宅を大量供給する目的で作られ始め、高度成長期に地方より都市部へ人口が流入する中で大都市圏の衛星都市に大量に建設されました。  大阪府では寝屋川市、門真市、守口市が3大文化住宅地帯?とされていましたが、近年は老朽化した文化住宅は取り壊され、3階建ての建売住宅(これまた大阪名物「三層住宅」!)に変貌を遂げる例が後を絶ちません。
 

○関西「文化住宅」の誕生
関西(大阪)では長屋型木造アパートを「文化住宅(ぶんかじゅうたく)」、略して「ブンカ」と呼びます。ではなぜ長屋型木造アパートを「文化住宅」と呼ぶようになったのかの由来は定かではありません。地元の不動産業者
さんが建売り販売する際にイメージを良くするため「文化住宅」という名前をつけて販売したのが始まりではないか、とも言われています。

○日本最初の「文化住宅?」の誕生
 日本で最初に文化住宅と呼ばれる住宅が現れたのは、関東で大正後期から昭和初期に出来た和洋折衷住宅(和風住宅風の玄関に天井の高い洋間)に、当時流行の「文化」という名称を付けたことが始まりと言われています。(「文化的」、すなわち「非常にグレードの高い物件」を意味しています。)
○文化住宅とは
 専門用語?では「長屋型木造アパート」と呼び、「文化住宅」と呼ぶのは大阪独特のようです。文化住宅の基本的な間取りは、玄関から入ると台所と和室2室が一直線に並んでおり、奥にもうひとつ和室、その奥はトイレとお風呂、又は風呂無しトイレだけ、といった感じです。(風呂無し物件は大体一万円程度家賃が安くなります。)探せば、共同トイレ、共同炊事場のレアな物件も見つかるかもしれませんね。(私が学生時代の友人が住んでいた文化住宅はトイレ共同でした。)




○寝屋川市の人口が10年間で4倍に!

  大阪府寝屋川市は、昭和30年頃までは農村集落と香里丘陵に開かれた良好な住宅地で、京阪電鉄駅のごく周辺におだやかな市街化しか見られませんでした。
 寝屋川市に高度経済成長に伴う人口急増の兆しが見え始めたのは昭和33年頃からで、昭和35年の人口が45,633人(国勢調査)、昭和45年の人口が206,961人と、10年間で人口が約4倍!に膨れ上がっています。
 当時は大阪都市圏へ仕事を求めて地方から転出してきた若年労働者の受け皿住宅として、文化住宅が京阪電鉄の各駅(香里園駅、寝屋川市駅、萱島駅)周辺に集中的に建設された時代でした。

○文化住宅のメリット

<安い>
 何といっても、まずは家賃と保証金が安い、駅近くに残っている文化住宅は生活至便で格安。これは助かります。
<防犯>
 防犯の面でも安心!?一般的に文化住宅には防犯設備は付いていません。しかし!大阪名物「近所のおばちゃん」が不審者にニラミを効かせてくれていますよ〜。 

 
 

 

 

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